窓の外はピンク色の夕焼け。 ガラスに映る猿野は、俺が俺のファンから貰ったやたらと辛い新作のスナック菓子の袋を膝頭で挟んでその中に右手を突っ込みながら、左手ひとつで器用にまんがのページを捲っている。 ちなみにそのまんがも俺が俺のファンから貰ったモンだ。 優柔不断な主人公がやたらと美少女達にモテまくる話。 世の中そんな美味い話があってたまるか畜生、とか悪態吐きながら猿野は夢中になって読み耽っている。 流れる高速道路沿いの景色は単調で、グラデーションになった空くらいしか見るものがなかった。 バンド内で唯一免許持ってるってだけで延延運転手し続ける羽目になった不幸なドラマーは、なんかどれも飽きたとか不機嫌に呟いて、車内に喧しく響いてたカーステレオを止めてしまった。 冷房が温度の低い風を吐き出す音と、薄汚れたハイエースの磨り減ったタイヤが、アスファルトを擦る音ばっかりがやけに耳につく。 どこまでも続く灰色の壁の上で染まる空の下、人間4人と機材積んだだけでぎゅうぎゅうになる車は高速道路を北上している、多分。 初めてステージに立つ猿野を見たのはもう大分前になるけど、俺はそれからずっと考えている。 今隣に座る猿野ってやつのことを。 大体に於いて考えることのきらいな俺にとってそれは大層珍しい話だ。 猿野。 茶色い髪と意思の強そうな眉とそれからやたらと伸びやかでほんのすこし掠れたイイ声を持っている、ウチのバンドの顔。 調子に乗るとMCでしゃべりすぎていつも持ち時間をオーバーさせてしまうすこし困ったボーカリスト。 英語の発音なんかほとんどカタカナ読んでるみたいな日本語英語で、日本語の歌詞だってしょっちゅう間違えるけどその間違った歌詞の方にやたらと説得力があったりなんかするから不思議だ。 普通よりすこしでかめの茶色い瞳孔でもって客席見下ろしてるときの猿野には、俺ですら正直見惚れる。 ごく稀にだけどもな。 口の周りにスナック菓子のかけら、唐辛子まみれの赤い粉をたっぷりくっつけて猿野は肘で俺の横腹を突っついた。 「なに」 「笹団子取れ」 「あ?」 命令口調で云ってのけた猿野の言葉に左の眉だけでちっとも効きやしない睨みを作って、背凭れの後ろ、アンプとギターケースと何日洗ってないのか恐ろしくて考えたくない着替えの山とファンから押し付けられたプレゼントと手紙の山を引っ掻き回して目的の包みを探し出す。 猿野はその間に、にやりと不敵に笑う唐辛子のイラストが書かれたビニィルのパッケージを几帳面に細く折り畳んで一結びして足元のナイロン袋に放り込んでいた。 放り投げるみたいに渡してやると、猿野は甲高い作り声でありがとうございましたぁ、とどっかのデパートガールみたいふざけた口調で礼を云った。 「なんだそれ」 「昨日のコンビニ店員の真似」 猿野はわざわざ右手で喉を撫で咳払いをすると、もういちどありがとうございましたぁ、と云った。 新潟駅のすぐ傍のビジネスホテル、ダブルの部屋をふたつ取って俺は勿論猿野と相室だった。 暗黙の了解。 話になんないくらい酒に弱い猿野はそのくせやたらとアルコール含んだ飲み物がだいすきで、昨日も打ち上げ後に真っ赤な顔とおぼつかない足取りと上機嫌の鼻歌でチェーン系列の呑屋からホテルまでの人通りのない道を真っ先に進んでった。 途中で引っくり返した自販機の横のゴミ箱の始末は俺がしてやった。 っていっても横を向いたゴミ箱を元通りに立ててやっただけだけども。 空はほんのすこし白み始めていて、猿野は俺たちの止まってる黄土色のタイルの8階建てビルディングを見上げたかとおもうと突然歩道の脇にしゃがみ込んで胃の中のもんを全部ぶちまけた。 最悪。 その場に大の字になろうとした猿野をほとんど引き摺るみたいに803号室の俺らの部屋まで引っ張り込んで、磨り減ったラバーソールだけ脱がせてベッドへ押し込んだ。 白くて固いシィツの匂いを嗅いで、猿野は何か唸って瞼を閉じた。 俺はそれからシャワーを浴びて髪から冷たい雫を滴らたまんま、ベッドから左手と両足を落っことしてる猿野をもう無視してその隣に倒れ込んだ。 ケータイがパンクアレンジのルパン3世のテーマをけたたましく鳴らして、短い幸福な眠りの世界から俺を呼び戻したとき、寝乱れた寝具の中に猿野の姿はなかった。 半分も開いてない眼で通話ボタンを探して押したら、時間にだけは正確なギタリストの、あと30分後には出たいから用意して降りて来てねって暢気な声が響いてきてむかついた。 枕が合わなかったのかすこし痛む首を揉みながら部屋を見回すと、猿野の姿どころか部屋中に散乱してた荷物もない。 チェックインしたときとほとんど変わらない状況で俺のかばんだけがひとつ残された部屋の中、もう一度ベッドに倒れ込みたい誘惑と戦いながら俺は顔を洗ってすこしだけ伸びた髭を剃ってエレヴェーターに乗って1階のボタンを押した。 カスタードクリームみたいな色のソファが並ぶロビーでいちばん最初に俺を見つけたのは猿野で、奴はスカイブルーとベージュのストライプのオモチャみたいなキャリーケースの上に尻を預けて、緑の地に白抜きでささだんごってでっかい文字の印刷されたでかい紙袋を振り回しておっせーぞみやなぎぃ、と叫んだ。 珈琲カップ片手に新聞に顔を埋めてたビジネスマンに睨みつけられて、猿野は首だけ上下に動かした。 なんだかもう呆れるのもめんどくさくなって、俺は黙ったまんまてのひらのなか、金文字で部屋番号の入ったプラスティックの四角柱にくっついた鍵をフロントに返す。 お前それいつ買い込んだんだよ。 猿野に問うと、早起きして駅まで買いに行ってきた、と奴はふんぞり返ってえらく自慢げに答えた。 駅までは徒歩7分の好立地のビジネスホテル。 猿野はこうやって必要ない荷物を馬鹿みたいに増やしていく。 東京に帰るのがいつなのかまるで理解していない。 この季節に生物ばっか買い漁るなんてこいつほんとに頭ワリーんじゃねえのか。 そしてこの笹団子もこないだの紅葉まんじゅうや吉備団子みたいに車内のおやつとして消費されていくし、きっと明後日の朝には萩の月の包みを持って満足げに笑ってるに違いない。 笹の葉を剥くのに四苦八苦しながら猿野はおめーもいっこ食う、と訊いたけど、俺はいらねえと答えた。 ドラマーは無言で運転してるし、ギタリストは助手席で多分眠っている。 長距離移動中、いつもの車内。 ようやく笹の葉から取り出した餡子の固まりで頬を膨らました猿野は、その顔のまんまであ、とかお、とかなんかそんなようなことを云ったみたいだった。 ぼんやりと窓の外で後ろに流れてく灰色の壁を眺めてた俺の肩越しに猿野の額と窓に嵌まったガラスがぶつかる。 まあるく猿野の額の脂が窓ガラスに移った。 「すげーきれー」 すぐ横にある猿野の色素がすこし薄めの瞳に、ピンク色の夕焼けが吸い込まれる。 眼球の中で沈み行く太陽。 ポケットからケータイを取り出してカシャッと電子的な贋物のシャッター音と一緒に車外風景をケータイの中に取り込むと、クロムハームのリングが鈍くひかる指を、笹団子を剥いたときほどではないにしろ不器用に動かしてメールを打ち始めた。 相手は多分わかってる。 猿野がもう長いこと一緒に住んでるあの女。 おとなしそうなだけの、多分つまんねーおんな。 ナギサン、なんてあいつがあの女のこと呼ぶ声なんて全く聞いちゃいられない。 あんなののどこがいーの、よっぽ具合でもイイのかよって冗談で云ってみたら奴は顔を真っ赤にさせてそれはそれは怒り狂った。 いちいち覚えちゃいないけど、てめえふざけんなやんのかあんなののってなんだよナギサンに失礼だとか、ナギサンをそんな穢れた目で見るなその目ン玉潰すぞだとか、なんかそういうの。 それは確かどっかのライブハウスに出たその打ち上げの席で、俺のシャツに両手で掴みかかり立ち上がった猿野をうちのメンバーだとか対バンのやつらだとかスタッフだとかが引き剥がそうとして、猿野はそれに反発して余計暴れてテーブルの上の焼きうどんとビールを引っくり返した。 その日はファンの子達も一緒で、突然大騒ぎになった居酒屋の一角で、俺たちは馬鹿みたいに注目の的で、明日は朝からバイトだからとかいって珍しくアルコールを殆ど口にしてなかった猿野は、前のバンドでいっしょだったとかいう中途半端な長さの髪を後ろで纏めたサワなんとかって男に宥められて、漸く我に返ったみたいに気まずい顔で腰を降ろした。 サワなんとかって野郎がこっちを見て眉の動きと視線と顎の動きで俺に合図を送るので俺はとりあえず謝罪の言葉を口にした。 冗談だって、ワリーな、そんなキレることねえっしょ。 心なんてこれっぽっちも篭っちゃいねえ。 ケータイのディスプレイを緩めた口元で酷く幸福そうに見つめながらゆっくりメールを作成する猿野に、わかってるくせに訊いてみる。 あのおんな? あの女じゃなくてナギサン。 猿野はいつもの台詞をいつも通りすこし怒ったみたいな口調で云って、俺のほうを見もしないでケータイのちいさなボタンを押すことに集中している。 振動で揺れるドナルド・ダッグとデイジー・ダッグのケータイストラップがときどきぶつかって黄色いくちばしでキスをする。 プッシュ音は設定していないけど、押したボタンがいちいちカチリカチリと微かに鳴る。 その音が耳障りで視線を窓の外、すこしずつ淡く消えていくピンク色に視線を移した。 冷房が効きすぎて、Tシャツから伸びた腕には薄く鳥肌が立っていた。 「お前もいーかげんひとりに決めろよ」 こっちに顔も向けないで瞳のまんなかにディスプレイを映り込ませたまんま猿野が云った。 「なあんでお前みたいのにばっかオンナノコのファンってつくわけ、俺も黄色い歓声とか浴びてー」 きゃーあまくにくーん、猿野は着替えと乱雑に詰まれた漫画の隙間から真っ黒で艶やかな三つ編みのカツラを目にも止まらないくらいの早業で被って、また甲高い作り声で自分ではしゃいでみて、キモチワリ、と付け加えたてすぐ毟り取った。 そのまま投げ付けられたその黒いポリエステル繊維の塊を、首を動かして避けたらその不気味な物体は俺がさっきまで額をくっつけてたパワーウィンドウのガラスに乾いた音を立てて衝突した。 「顔じゃねえの」 云ってやると猿野は狭い車内で裸足になってた27cmの足で、俺の脛を多分結構ちからいっぱい蹴っ飛ばした。

ビーストオンザサンセットハイウェイ